“A Love Supreme: Live In Seattle” (Oct.2.1965) John Coltrane
John Coltrane (soprano, tenor saxophone, percussion)
McCoy Tyner (piano) Jimmy Garrison (bass) Elvin Jones (drums)
Pharoah Sanders (tenor saxophone) Donald Garrett (bass) Carlos Ward (alto sax)
John Coltrane、1965年の未発表ライブ演奏。2021年発表。
1965年の第四四半期はタイトルを見るだけでビビッてしまう、ちょっとこれは・・・な凄い演奏が続く時期。
“Live in Seattle” (Sep.30.1965)、”Om” (Oct.1.1965)、“Kulu Sé Mama”、“Selflessness” (Oct.14.1965 (一部))、“Meditations” (Nov.1965)。
激烈フリージャズの入り口“Live in Seattle” (Sep.30.1965)の二日後、ちょっとではなく大変怖い”Om” (Oct.1.1965)の翌日のステージ。
メンバーもほぼ同じとくると身構えてしまうのですが、演奏されるのが“A Love Supreme” (Dec.1964)となると・・・というか、この期のColtraneさんであれば演目がなんであれ聞かざるを得ないのが哀しい性。
おそるおそる聞いてみたところ・・・
予想に違わぬ激烈さ。
が、“Live in Seattle”ほどにはぶっ飛んでいないというか、叫びとか呪文系とかが無いので怖くはないというか、オリジナル“A Love Supreme” (Dec.1964)+α+β+γ+δぐらい、あるいは“Sun Ship” (Aug.1965) 、“First Meditations” (Sep.2.1965)、はたまた色合いは違えど“Miles Davis At Fillmore” (1970)の五割増しぐらいの弩級激烈エネルギー放出型ジャズ。
ベースやドラム、パーカッションをフィーチャーしたインタールードを含めて75分超える演奏は、オリジナルの倍以上、発表されていたフランスでのライブ音源(Jul.1965)と比べても1.5倍の長尺の凄まじいステージ。
私家録音なのでしょうし、ドラムが強いバランスですが、音質はまずますいい感じ。
私家録音なのでしょうし、ドラムが強いバランスですが、音質はまずますいい感じ。
Part1、ベースを中心として厳かに始まりますが、徐々にテンションと音量を上げていくバンド、凄まじいテナーサックス。
ピィーとかキィーとかギャーとかまでにはいきませんが、この期のもどかし気に高速旋回しまくるスタイルから常軌を逸しつつの、もはや何がなんやらわからない激烈さ。
そんなトランス状態が10分以上?続いた後、例のお題目フレーズともに、周囲を取り巻いていた土埃が消えていくような鎮静。
妖しいパーカッションとベースのインタールードからPart2へ。
あの緊張感の塊のような超カッコいいテーマもそこそこに始まる客演のアルトサックスのインプロビゼーション。
これまた激烈系ですがちょっとだけスッキリした感じ。
これまた激烈系ですがちょっとだけスッキリした感じ。
Part3は、高速ビートの中、トランス状態へのグルと思しきPharaohさんの絶叫サックス。
そんなサックスが引くとMcCoyさんの超高速疾走ピアノの出番。
軽やかに始まりますが、気が付けば大音量の千手観音ドラムとの凄まじいバトル。
激烈系ピアノトリオの最高峰。
そして締めは全編ルバートでのスローバラードPart4。
沈痛、あるいは敬虔なムードの中、静かに重々しく幕。
十分に激烈なオリジナルの何倍も激しい音。
全編緊張感の塊、凄まじいまでの激烈トランスミュージック。
いき過ぎない、いや十分にいってしまっているか・・・いずれにしてもぶっ飛んだ超人たちが作る凄まじい音の洪水。
いまさらながらではありますが、畏れ入りました。
posted by H.A.