“Testament” (Oct.2008) Keith Jarrett
Keith Jarrett (piano)
キース ジャレット Keith Jarrett、パリとロンドンでのソロピアノ。
“The Carnegie Hall Concert” (Sep.26.2005)から三年空いて、間の作品はCharlie HadenとのDuo、”Jasmine”, “Last Dance” (2007)のみで、スタンダーズも公式録音は2017年現在、発表されていません。
“Radiance” (2002)、“The Carnegie Hall Concert”と続く21世紀型ソロピアノ、短編小説集のような構成。
“La Scala” (Feb.1995)のような明確なゴールがあるわけではなく、抽象的な展開の時間が長い演奏。
パリのステージ、冒頭から抽象的な音の流れ、怒涛のような激しい演奏。
二十年前の“Paris Concert (1988)から完全にモデルチェンジしたソロピアノ。
Part.2に入っても激しく重い空気感は拭えませんが、ビートが定まり、ジャズ的なインプロビゼーションの切れ味は増してきます。
Part.3はスローバラード、漂うようなルバートでスタート。
Keithの真骨頂、懐かしいような悲しいようなメロディの芯が見え始め、リズムが定まったと思ったらまた崩れ・・・とてもドラマチックに展開します。
もっともっと長く続けてくれたらいいのに、と思う素晴らしい演奏。
が、その安堵も束の間、Part.4では再び抽象的で激しいフリーな演奏が始まります。
Part.5は穏やかながら祈るような質感。
メロディが見えそうで見えてこない、複雑な表情のこの期のKeithの得意な展開。
Part.6では強いビートが入り、ジャズ的なムードが強いノリのいい演奏。
演奏後、長く続く拍手から考えると、ここでステージが終わったのかもしれません。
Part.7でようやく登場するセンチメンタルなメロディ、フォークロック調の演奏。
準備された曲なのだろうと思いますが、懐かし気で切ない、どこかで聞いたことがあるようなメロディ”My Song”なKeith Jarrett。
締めの”Part.8”は激しいフリーからスタート。
長尺な演奏、どこかで変わることを願いつつも、最後まで凄まじいフリーでパリのステージは幕。
やはり“La Scala” (Feb.1995)的ではなく、“The Carnegie Hall Concert” (Sep.26.2005)的なステージ。
1970年代型、1980年代型はもとより、1990年代型も終わり、21世紀型ソロピアノに遷移しているようです。
ロンドンのステージは静かに思索的に始まります。
フリーではなく穏やかですが、少々重め、甘いメロディは出てきません。
“Part.2”でジャズ的なインプロビゼーション色が強くなり、”Part.3”はフォークロック調。
“Part.4”は桜が舞い散るような日本的な音使い、短い演奏ですが、とても美しく幻想的な素晴らしい演奏です。
“Part.5”の激しく長尺なフリーを経て、フォーキーなバラード”Part.6”と、以降も含めて目まぐるしく展開は変わっていきます。
重めのビートの”Part.7”、フォーキーでドラマチックなバラード”Part.8”、素っ頓狂な疾走曲”Part.9”、不思議な行進曲風”Part.10”・・・
締めの二曲は、不思議なビート、コードが先導し、メロディが見え隠れするようなバラード“Part.11”、おそらくアンコール?、フォークロックな“Part.12”。
“Part.11”ではタメと疾走が交錯する1970年代 Keith Jarrettが戻ってきたかのような、また、“Rio” (Apl.2011)を予見するようなインプロビゼーションも聞かれます。
そして“Part.12”、懐かし気なメロディ、アメリカンロックのLeon Russellを想わせるような展開とともに、前向きに幕。
混沌を経てとてつもなく美しい演奏に到達する1990年型ではなく、楽曲を短く刻み、フリー度、現代音楽度も高い演奏とフォーキーな演奏が入り混じる21世紀型Keith Jarrettのソロピアノの一作。
大衆小説、純文学、前衛小説が交錯する演奏。
難解で散漫な印象もありますが、“The Carnegie Hall Concert” (Sep.26.2005)と同様に、合間合間に素晴らしいメロディ、演奏が散りばめられています。
パリの”Part.3”、ロンドンの”Part.4”、”Part.8”、“Part.11”とかカッコいい演奏です。
それに出会えること、他のパートについても見えてくる景色が変わってくること期待しつつ聞いてみますかね・・・
posted by H.A.