“Soltando Amarras” (1998) Quique Sinesi, Marcelo Moguilevsky
Quique Sinesi (guitar, etc.) Marcelo Moguilevsky (reeds, voice, etc.)
Calros Aruirre (paino)
現代フォルクローレのギタリスト、Quique Sinesi、リード奏者とのDuo作品。
“Danza Sin Fin” (1998)と同時期の録音、質感も同じ。
これまた優雅で郷愁感が滲み出る名曲、名演奏揃い。
冒頭曲こそハイテンション、ハイスピード、聞き慣れない笛が前面に出ますが、以降は穏やかで優しいメロディ、優雅な演奏が続きます。
Marcelo Moguilevskyはクラリネット、ソプラノサックスを中心に、フルート、ボイスまでまで様々な楽器を駆使した演奏。
この人もジャズの経験がある人なのでしょうかね。
いい感じのグルーヴ、どの楽器にしても素晴らしい表現力、抑揚感。
Quique Sinesiのギターはソロ作品と同様の瑞々しさ。
ギターソロではなくMarcelo Moguilevsky が背景を作ってくれる分、Quique Sinesiのシングルトーンのギターソロもたっぷり。
ジャズ、スパニッシュ、その他が混ざり合ったような質感。
スローテンポのタメとアップテンポでの強烈な疾走感、そのバランス、組み合わせががなんとも優雅でカッコいい。
グルーヴに乗ったカッコいいインタープレーの場面もしばしば。
Calros Aruirreは一曲のみの提供、客演ですが、これまた素晴らしい内容。
ジャズファン目線で見たフォルクローレ、違和感があるとすれば、ビートが弱いこと、インプロビゼーションのスペースが小さいことがその要因なのでしょう。
本アルバムはインプロビゼーションたっぷり、全編通じて穏やかなスウィング。
優雅なビート感に慣れてしまえば、こちらの方が心地よかったりします。
純粋にギターを聞きたいならば、あるいは静謐を求めるのであれば“Danza Sin Fin” (1998)の方が良いかもしれません。
こちらのアルバムには、同様の質感に加えて、上品な高揚感、興奮もあります。
どちらが良いかはお好み次第、というか、その日の気分で決めればよいのでしょう。
どちらも同じぐらいに上質、周囲の空気が浄化されるような素晴らしい音。
posted by H.A.
Quique Sinesi (guitar, etc.) Marcelo Moguilevsky (reeds, voice, etc.)
Calros Aruirre (paino)
現代フォルクローレのギタリスト、Quique Sinesi、リード奏者とのDuo作品。
“Danza Sin Fin” (1998)と同時期の録音、質感も同じ。
これまた優雅で郷愁感が滲み出る名曲、名演奏揃い。
冒頭曲こそハイテンション、ハイスピード、聞き慣れない笛が前面に出ますが、以降は穏やかで優しいメロディ、優雅な演奏が続きます。
Marcelo Moguilevskyはクラリネット、ソプラノサックスを中心に、フルート、ボイスまでまで様々な楽器を駆使した演奏。
この人もジャズの経験がある人なのでしょうかね。
いい感じのグルーヴ、どの楽器にしても素晴らしい表現力、抑揚感。
Quique Sinesiのギターはソロ作品と同様の瑞々しさ。
ギターソロではなくMarcelo Moguilevsky が背景を作ってくれる分、Quique Sinesiのシングルトーンのギターソロもたっぷり。
ジャズ、スパニッシュ、その他が混ざり合ったような質感。
スローテンポのタメとアップテンポでの強烈な疾走感、そのバランス、組み合わせががなんとも優雅でカッコいい。
グルーヴに乗ったカッコいいインタープレーの場面もしばしば。
Calros Aruirreは一曲のみの提供、客演ですが、これまた素晴らしい内容。
ジャズファン目線で見たフォルクローレ、違和感があるとすれば、ビートが弱いこと、インプロビゼーションのスペースが小さいことがその要因なのでしょう。
本アルバムはインプロビゼーションたっぷり、全編通じて穏やかなスウィング。
優雅なビート感に慣れてしまえば、こちらの方が心地よかったりします。
純粋にギターを聞きたいならば、あるいは静謐を求めるのであれば“Danza Sin Fin” (1998)の方が良いかもしれません。
こちらのアルバムには、同様の質感に加えて、上品な高揚感、興奮もあります。
どちらが良いかはお好み次第、というか、その日の気分で決めればよいのでしょう。
どちらも同じぐらいに上質、周囲の空気が浄化されるような素晴らしい音。
posted by H.A.