吉祥寺JazzSyndicate

 吉祥寺ジャズシンジケートは、東京、吉祥寺の某Barに集まるJazzファンのゆるーいコミュニティです。  コンテンポラリーJazzを中心に、音楽、アート、アニメ、カフェ、バー、面白グッズ、などなど、わがままに、気まぐれに、無責任に発信します。

2014年11月

【Disc Review】“Meia-Noite Meio-Dia” (2003) Chico Pinheiro

“Meia-Noite Meio-Dia” (2003) Chico Pinheiro
Chico Pinheiro (guitar, vocal)
Fábio Torres, Tiago Costa (Piano) Marcelo Mariano, Paulo Paulelli (Bass) Edu Ribeiro, Erivelton Silva (Drums) Armando Marçal (Percussion) Swami Jr. (Guitar) Proveta (Clarinet) Teco Cardoso (Flute, Baritone sax) Chico César, Ed Motta, Lenine, Luciana Alves, Maria Rita (Vacals)

Meia Noite Meio Dia
Chico Pinheiro
Ais
2006-05-31
シコ ピニエロ

 ブラジルのギター&ボーカリスト。
 このアルバムがデビュー作だったのでしょうか?
 とにかく素敵なアルバム、ミュージシャン。
 ボサノバではなく、いわゆるMPB、ブラジリアンポップス。
 曲作り、編曲がものすごくいい感じ。
 もちろん全編ブラジルテイストで、リズムはボッサが中心、メロディは哀愁系、自身を含めたボーカル陣も伝統のウイスパー系が中心なのだけど、なぜか現代的、都会的でクールな質感。
 ストリングスなども絡めつつ、曲ごとにいろんなミュージシャンを集めてどの曲もいい感じのアレンジ。
 かといって作り込みすぎる訳では無く、適度なテンションとゆるさがちょうどいいバランス。
 しっとりしたバラードから、ボサノバ、グルーブの強いベースラインがカッコいいブラジリアンフュージョンまで多彩な構成。
 でも一貫性は感じられるし、この人独特の色合いが常に流れています。
 さらにギターが上手い。ガットギターはもちろん、エレキギターも。
 インプロビゼーションではあまり沢山のスペースは取らないのだけども、クリーントーンで何とも言えない雰囲気、疾走感のあるフレーズを連発。
 ブラジル系独特のノリのよさはそのままに、テンション高め、クールな質感で個性的。
 これまたカッコいい現代的都会的ブラジリアンミュージック。




posted by H.A.

【Disc Review】“d'improvviso” (2009) Rosalia de Souza

“d'improvviso”  (2009) Rosalia de Souza
Rosalia de Souza (vocal) and others







 ブラジル系ボーカリストRosalia de Souzaのオシャレで小粋なジャズボッサ盤。
 クラブジャス系イタリア系人脈の、若者に受けそうな今日的なジャズボッサコンボの演奏の上に、クールな質感のウイスパー系ポルトガル語ボーカル。
 ゆったりとしたビート、哀愁系メロディの冒頭曲から怪しさを漂わせ、スピード感溢れる展開へ。
 クールなボーカルはもちろん、旋律、リズムの展開、バックを彩るホーン群、間奏の入り方、などなど、カッコいいところ満載。
 隅々までセンスの塊。
 全てオリジナル曲と思われ、いわゆる有名曲、スタンダード曲はありませんが、どの曲も秀逸。
 一聴して耳に残るカッコよくキャッチーな楽曲揃い。
 クールでオシャレだけど怪しい。
 現代的都会的ブラジリアンミュージック。





posted by H.A.

【Disc Review】“Clouds In My Head” (1975)、“Shimri” (1976)、 “Green Shading Into Blue” (1978) Arild Andersen

“Clouds In My Head” (1975) Arild Andersen
Arild Andersen (bass)
Jon Balke (piano) Pål Thowsen (drums) Knut Riisnaes (sax, flute)

“Shimri” (1976) Arild Andersen
Arild Andersen (bass)
Lars Jansson (piano) Pål Thowsen (drums) Juhani Aaltonen (sax, flute, percussion)

“Green Shading Into Blue” (1978) Arild Andersen
Arild Andersen (bass)
Lars Jansson (piano, synthesizer, string ensemble) Pål Thowsen (drums) Juhani Aaltonen (sax, flute)

Green in Blue: Early Quartets
Arild Andersen
Ecm Records
アリルド アンデルセン 

※原盤は廃盤のようで、3枚を合わせたセットでどうぞ。



 ヨーロッパ系ジャズはもちろん、さまざまなところで活躍するベーシストArild Andersen、若き日の作品。
 原盤は廃盤のようで、 三作セットで再発されていますが、どれも素晴らしい作品。
 1980年代以降~近年の演奏ではごっつい感じの激しい系、ド派手なベース、妖しさ全開の音楽が目立ちますが、ここでは不思議系~エキサイティング系のヨーロピアンコンテンポラリージャズ。


 “Clouds In My Head” (1975)は、ハイテンションな不思議系ヨーロピアンジャズ。
 Arild Andersenの楽曲はこの時期から今に至るまで不思議系。
 哀愁系からメカニカル系まで多彩な楽曲揃い。
 そんな不思議なテーマをモチーフにした激しい系の演奏が印象に残ります。
 ノルウェーのピアニストJon Balkeは、クラシックの香りが強くメリハリの効いた、いかにも1970年代ECMな美しいピアノ。
 彼も不思議な演奏が得意なはずですが、ここでは端正でキレのある演奏。
 パタパタと多い手数で煽りまくるドラムと、激しく動くベースを背景にして、端正ながらぶっ飛んだ演奏を何曲も聞かせてくれます。
 あるいは漂うようなスローテンポでの演奏も、Keith Jarrettのような感傷的で激しい音使い。
 凄いピアニストです。
 素直なJon Balkeのカッコいいピアノを聞くには、この作品が一番いいのかもしれません。
 Coltrane的なサックスもこれまたエキサイティング。
 ベースの激しさは言わずもがな。
 “Death and the Flower”(Oct.1974) Keith Jarrettに近い時期の録音。
 Keith Jarrettのカルテットのように・・・なんて思いもあったのかもしれませんが、このメンバーでは一作のみ。
 メンバーを変えて、次作へと続きます。

 二作目の“Shimri” (1976)からは、ピアニストとサックスのフロント陣が変更。
 このアルバムが一番淡くて優しい色合いなので、一番のお気に入り。
 一曲目から全編ルバートの怪しい香りのする美しいバラード。
 キラキラしたピアノとちょっと歪んだ音が特徴的なエモーショナルなサックス、下を支えるベースとドラムが漂うように絡み合いながら、揺らぎのある空間を作る。
 全編を通じた心地よい浮遊感。
 止まりそうで止まらない、崩れそうで崩れない繊細な音。
 以降も少しもの悲しい美しくも怪しい楽曲が続きますが、暗さや深刻さはありません。
 前作に比べて明るく爽やか系な色合いが強くなっているように思います。
 ピアノのLars Janssonの印象も強いのでしょうかね?
 リーダーのベースは強烈なグルーヴ感や時折のド派手なソロはそのままに、全体的には少々抑え目のバランス。
 ジャズではあるけど1960年代以前の雰囲気や黒っぽさが無く、フュージョンのようでもあるけどアメリカンフュージョンとは全く異なるヨーロッパ系ジャズ特有の質感。
 リズムが柔らかいし、スケールやコードの使い方も何かが違うような・・・
 クラシックの色が強いのかもしれないし、各国の土着的なリズムやメロディが根底に流れているのかもしれません。
 美しくて、上品で、少々妖しく、スリリングな名作です。

 続く“Green Shading Into Blue” (1978)も前作と同じメンバー、同じ質感の素晴らしい作品。
 柔らかなビートと美しいピアノ、バイタル系のサックス、背後でウネウネと動きまくるベース。
 “Shimri” (1976)と比べるとビート感が強めでしょうか。
 サックスが前面に出る場面が目立ちます。
 柔らかさはそのまま、同質、同レベルの素晴らしいヨーロピアンコンテンポラリージャズ。 
 前作とどちらがいいは好みの問題だけでしょう。


 1970年代のこの種のヨーロピアンジャズ作品は、とても心地よくてカッコいい作品がたくさん。
 Eberhart Weber諸作Steve Kuhn諸作などなど。
 Keith Jarrett、Pat Methenyが人気がありすぎて目立たないのかもしれませんが、全く異質な素晴らしい作品群。
 1980年代からこの種の作品が少なくなっていくのは少々残念ですが、Eicherさんの志向が変わったのでしょうね・・・



posted by H.A.

【Disc Review】“The Thought Of You” (2014) Otis Brown Ⅲ

“The Thoudgt Of You” (2014) Otis Brown Ⅲ
Otis Brown Ⅲ (drum)
Bial Oliver (vocal) Gretchen Parlato (vocal) Nikki Ross (vocal) John Ellis (sax) Keyton Harrold (trumpet) Shedrick Mitchell (organ) Nir Felder (guitar) Robert Glasper (piano) Ben Willianms (bass)

The Thought of You
Otis Brown III
Blue Note
2014-09-23
オーティス ブラウン3世

 若手?ドラマーによるコンテンポラリージャズ。
 正直、リーダーについての情報は持っていません。
が、Robert Glasperがピアノを弾いているし、Gretchen Parlatoが一曲だけど歌っているので聞いてみた一枚。
 これが古いのやら新しいのやら不思議な感じ、いい感じのジャズ。
 Robert Glasper的な洗練された感じかと思いきや、結構無骨でハードな質感。
 二管のフロント陣がテーマを奏で、ごっつい感じのドラムとベースが下を支えるあの1950~1960年代の香りが数曲。
 サックスがWayne Shorter風だったり、ピアノがときおりHerbie Hancock風だったりするのもご愛嬌。
 さらにヒップホップっぽいもの、ブラコンっぽいボーカル曲も数曲。
 管が抜けてRobert Glasperが表に出てくると急に浮遊感が出て、洗練されたイメージになるし、今風のスタイルの音使いも多い。
 やはりRobert Glasperは現代のスタイリスト。
 でもなぜか彼のリーダー作のイメージまではサラッとはしません。
 汗臭くてドロドロした昔っぽい雰囲気と、クールで明るい今っぽい雰囲気が混在していて、古くからのジャズファンとしてもいろんな意味で楽しめるいいバランス。
 さらにボーカル曲、お目当てのGretchen Parlatoもさることながら、中盤以降の数曲がもろソウル~ブラコン。
 それも少し懐かしい感じの切ない系。
 曲もボーカルもいいんだけど、そのバックの演奏が今風の浮遊感のあるリフをひたすら繰り返すスタイルだったりするので、何となく懐かしくも新しい。
 ニューヨークあたりのライブハウスでは毎晩こんな音が展開されているのでしょうかね。
 新旧ごった煮感がカッコよくて、結構気に入っています。



posted by H.A.

【コンテンポラリーな日々】No.8 ~競演か? 創作か?~


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廃墟を保存することは、もっとも醜い逆説である
by S.I



 モダン・ジャズの演奏のスタイルは、なによりも参加しているミュージシャンたちが、魅力的なソロ(インプロビゼイション/アドリブ)をプレイすかが肝心だ。

 
 例えばサックス、トランペット、プラスピアノトリオの編成だと、まずはサックス等の管楽器が曲のリフを演り、何コーラスかアドリブをする。つぎにトランペットのソロ。続いてピアノのソロ。その後、ベースのソロも続いたりする。それから4バースとか8バースのいわゆるドラムとの掛け合いをプレイしたりする。最後にまた再び曲のリフに戻りエンディング、というわけだ。

 
 ジャス・ファンなら誰でも知っているお決まりのフォーマットだ。ライブ盤のアルバムなんかだと、それぞれのソロが終わるたびに拍手が起き、ヒューヒューと口笛が鳴り響いたりして臨場感もある。これはもう、一種の儀式みたいな感じだ。

 
 私がずっと聴き続けてきたモダン・ジャズは、あくまでも、そのプレイヤーのソロが、いかにエキサイティングで光り輝いているかが、もっとも重要だ。

 
 「名盤」と呼ばれるものは、もちろんそのアルバムに参加したミュージシャン達のまとまりとかバランスと、いろいろあるけど、やっぱりプレイヤー達のソロがいかに素晴らしいかが評価のもっとも重要なポイントだろう。参加したミュージシャンがみんな仲が良く和気藹々としていたかと云うと、必ずしもそうではないなんて話も耳にしたことがある。それでも名演、名盤は出来る。

 
 若い頃、ジャズ仲間でサックスを演っていた友人が、マイルスの50年代の名作スティーミン、とかリラクシンなどのアルバムで、「俺はコルトレーンしか聴いてないんだ、マイルスもレッドガーランドもどうでもいい」なんて言い放っていた。まァ、コルトレーンフリークの彼だから致し方ない発言かもしれない。

 
 さて、一転してコンテポラリー・ジャズはどうかというと、だいぶその様相が変わっているように思える。もちろんプレイヤーのソロの質そのものも、それなりに重要ではあるけど、そのアドリブそのものよりも、参加しているミュージシャン全員でいかなるサウンドを創るか、そして皆でいかにそのアルバムのクオリティを上げるか、つまり演じるというより「創作」しているような気がしてならない。

 
 アルバムの中では殆どソロをとらない演者もいる。でも全体としてはその音が「効いている」場合も少なくない。単なるバッキングというより、いかに全体のサウンドを彩り、創りあげるかが最重要課題である印象が強い。

 
 以前、私がモダンジャズのアルバムを聴いていた際、どうしてもそのお気に入りのミュージシャンのソロそのものに注目してしまいますが、でもコンテンポラリーはソロというより、つまりいかに演じるか、とかいうよりアルバムとしていかに創作するかということこそが問題なのでしょう。

 
 このことは、アルバムのジャケットなんかにも現れている感じがする。モダンのアルバムのジャケットはミュージシャンの顔写真が多かった気がする。イラストでもそれはミュージシャンの顔や楽器をデフォルメしたとかポップな感じが少なくなかった。

 
 でもコンテンポラリーのアルバムは、圧倒的にミュージシャンの写真とかよりアーティステックな風景写真とか、絵だとしても、イラストというより抽象画とか、芸術性を感じさせるような絵画が多く見受けられる。

 
 私が好きなレーベルのひとつであるECMのジャケットは、どんよりとした空とか、荒涼とした大地とか、そんな感じの写真が圧倒的に多い。そしてジャケットから受けるイメージと中身の音は、けっこう同調している。つまり少なくとも何を表現するのか、というテーマ性とか、録音後に出来た作品のイメージをジャケットを通じて伝えようとしている気がするのです。

 
 コンテンポラリー・ジャズは、モダンのように、いかに演じるか、というより全体として何を表現するかが、問われているのではないか。ミュージシャン達は、ソロ・プレイヤーとしての技術や力量よりも、アルバムとしていかなる世界が創造できたかが問われているのではないか。だからジャケットもけっこう重要だと思います。

 
 音楽である以上、そしてそれぞれが楽器を駆使するという点では、もちろんある程度はそのテクニックや力量は問われるだろうが、もっとも肝心なのは、それが具体的なモノであれ文学的なモノであれ、プレイヤー達は、どんな音世界を創り上げるのか、そのことに苦心しているに違いない。

 
 いかに演じるか、ではなく、いかに創作するか、これからのジャズに問われる本質のような気がしてならないのです。少なくとも私にとっては誰がもっとも巧いのかとか、凄いのかではなく、その音世界がいかに心を揺さぶるか、それがもっとも重要なのだと思えるのです。

si50posted by S.I.
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